ジョンとチーズの物語

引退するつもりでした。ところが、チーズ作りのほうがずっと面白かったのです。

私が初めて日本に来たのは1976年。20代後半、「何か面白いことはないだろうか」と冒険を求めてやって来ました。

結果として、いくつもの冒険に出会うことになりました。

1980年、東京・吉祥寺で最初の英会話学校を開きました。活気があって、本当に魅力的な街でした。

でも年月が経つにつれ、東京はだんだん人が増え、少し息苦しく感じるようになりました。

そこで思い切って荷物をまとめ、札幌へ移ることにしました。

札幌でも英会話学校を開き、北海道での生活はほとんど完璧でした。

ひとつだけを除けば。

冬です。

寒すぎる。そして長すぎる。

やがて引退の時が来ました。妻も会社を退職し、私も英会話学校を譲り渡しました。

「老後は雪のない場所で暮らそう。」

そうして選んだのが沖縄でした。

ところが、その引退生活は、わずか数か月で終わってしまいました。

沖縄へ来て、あることに気が付きました。

1970年代の東京と同じだったのです。

本物のチーズがない!

牛乳は素晴らしいのに、本格的なチーズがありません。スーパーに並んでいるのは、ほとんどがプロセスチーズと水っぽいヨーグルトばかりでした。

時間だけはたっぷりありました。

そこで思ったのです。

それなら、自分で作ればいい。

最初は妻と自分のために、自宅のキッチンでチーズを作り始めました。

ところが……

気が付けば、すっかりチーズ作りに夢中になっていました。

ある日、友人が「那覇のバーでチーズナイトをやってみない?」と声をかけてくれました。

やってみると大成功。

その勢いで、「一緒にチーズ作りをやってみよう」と言ってくれた酪農家と出会いました。牧場の一角にチーズ工房を建てさせてもらうことになったのです。

そこからは、もう一直線でした。

やがて沖縄県内の多くのホテルへチーズを納めるようになり、南城市には小さなチーズショップもオープンしました。

2015年、妻・貞子はがんのため亡くなりました。

以前、お客様からこんな言葉をいただいたことがあります。

「この店には、ジョンさんのチーズと、貞子さんの笑顔に会いに来るんですよ。」

私は、その言葉を今でも忘れることができません。

貞子の笑顔はもうありません。

でも、チーズは今も生き続けています。

現在は南城市で、自分たちの牛から搾ったミルクを使い、チーズ、ヨーグルト、そしてバターを一つひとつ手作りしています。

英国伝統のチーズ作りに沖縄の素材を組み合わせ、この土地だからこそ生まれるチーズを作り続けています。